唐古・鍵に大きなムラが栄える
奈良盆地のほぼ中央にある大規模な環濠集落、唐古・鍵遺跡。稲作が広まり、人びとが集まって暮らす社会の様子を伝えています。
唐古・鍵遺跡は、田原本町にある弥生時代の大規模な環濠集落です。遺跡全体は約42万平方メートルに及び、発掘調査から、何重もの溝に囲まれたムラで人びとが稲作やものづくりを行っていたことが分かっています。出土した土器や木製品などは、弥生時代の生活や交流を考えるうえで重要な資料になっています。
NARA HISTORY TIMELINE
奈良には、教科書に出てくる歴史が今も町や風景の中に残っています。歴史・今の場所・地域Plusをひとつにつなぎ、奈良の歩みをわかりやすく紹介します。
TIME TRAVEL THROUGH NARA
「これ知ってる!」「ここ行けるんだ!」を見つけながら、奈良の長い歴史を楽しんでみてください。
奈良盆地のほぼ中央にある大規模な環濠集落、唐古・鍵遺跡。稲作が広まり、人びとが集まって暮らす社会の様子を伝えています。
唐古・鍵遺跡は、田原本町にある弥生時代の大規模な環濠集落です。遺跡全体は約42万平方メートルに及び、発掘調査から、何重もの溝に囲まれたムラで人びとが稲作やものづくりを行っていたことが分かっています。出土した土器や木製品などは、弥生時代の生活や交流を考えるうえで重要な資料になっています。
河合町の大塚山古墳は全長約197m。5世紀後半につくられ、同じ時期の奈良盆地では最大級の前方後円墳です。
大塚山古墳は全長約197メートルの前方後円墳で、5世紀後半につくられたと考えられています。奈良盆地の中でも大規模な古墳で、当時この地域に大きな力を持つ人物や集団が存在したことを示す重要な遺跡です。古墳の形や規模を見ることで、古代社会の権力や地域のつながりを考えることができます。
斑鳩町には、豪華な副葬品で知られる藤ノ木古墳があります。古墳時代の終わりごろの奈良を知る重要な場所です。
藤ノ木古墳は6世紀後半につくられたと考えられる円墳です。発掘調査では豪華な金銅製の馬具や装身具などが見つかり、古墳時代の終わりごろの高い工芸技術を伝えています。被葬者についてはさまざまな説がありますが、当時の政治や文化を考えるうえで非常に重要な古墳です。
605年、聖徳太子が斑鳩に住んだと伝えられます。斑鳩は政治と仏教文化の重要な舞台になりました。
斑鳩は、聖徳太子が政治や仏教文化を進めた重要な地域として知られています。飛鳥の政治文化とつながりながら、斑鳩では寺院や宮を中心とした新しい文化が形づくられていきました。この流れが、のちの法隆寺や斑鳩の歴史につながっていきます。
斑鳩町の歴史年表では607年を法隆寺創建としています。斑鳩の仏教文化を象徴する場所として、今も世界中から人が訪れます。
法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺として伝えられ、斑鳩の仏教文化を代表する存在です。現在残る建物の中には7世紀後半から8世紀初めにさかのぼるものがあり、世界でも非常に古い木造建築群として知られています。日本が大陸の文化を取り入れながら、独自の仏教建築や美術を形づくっていった過程を伝えています。
持統天皇の時代、都は藤原京へ。日本初の本格的な都城とされ、のちの平城京・平安京へつながります。
藤原京は694年から710年まで置かれた都で、日本で最初の本格的な都城とされています。道路を碁盤の目のように整え、中心に宮殿を置く都市計画は、その後の平城京や平安京にもつながりました。律令国家が整っていく時代を象徴する都です。
710年、都は藤原京から平城京へ。奈良が日本の政治・文化の中心となる時代が始まりました。
平城京は710年に都となり、奈良時代の政治・文化の中心になりました。中国の都城を参考にした計画的な都市で、宮殿・役所・寺院・市場などが整えられました。遣唐使などを通じて伝わった文化が奈良で発展し、日本独自の文化へとつながっていきます。
752年、東大寺で大仏開眼供養が行われました。大仏は奈良時代の国家事業と文化を象徴する存在です。
東大寺の大仏は、聖武天皇の時代に国家的な事業として造られました。752年の開眼供養には国内外から多くの人びとが関わり、奈良時代の仏教文化と国家の力を象徴する出来事となりました。全国に国分寺・国分尼寺が置かれた時代とも重なり、仏教が社会に大きな影響を持ったことが分かります。
768年を春日神社創建とする歴史資料があります。春日山とともに、奈良を代表する信仰の地になりました。
春日社は現在の春日大社につながる神社で、奈良の都と深い関係を持ちながら発展しました。藤原氏の信仰とも結びつき、奈良の宗教文化を支える重要な存在となりました。背後に広がる春日山の森と一体となった景観も、奈良を代表する歴史文化の一つです。
春日若宮おん祭は1136年に始まったと伝えられます。都が奈良を離れたあとも、奈良独自の文化と信仰は受け継がれました。
春日若宮おん祭は、平安時代から続く春日大社の祭礼です。長い歴史の中で、さまざまな芸能や装束、行列などが受け継がれてきました。古代・中世の文化が、現在も「祭り」という形で続いていることを実感できる奈良らしい行事です。
1180年、平重衡による南都焼討ちで東大寺・興福寺などが大きな被害を受けました。奈良の歴史には繁栄だけでなく、復興の歩みもあります。
1180年、平重衡の軍による南都焼討ちで、東大寺や興福寺など奈良の主要寺院が大きな被害を受けました。その後、東大寺では重源を中心に復興が進められました。奈良の歴史は、建物が失われても人びとの力で何度も再建されてきた歴史でもあります。
1560年、松永久秀が多聞城を築いたとされています。古都・奈良にも戦国時代の動きが及んでいました。
多聞城は戦国時代の奈良に築かれた城で、松永久秀の拠点となりました。寺社の町という印象が強い奈良にも、戦国武将が勢力を争った時代がありました。城郭には当時として新しい建築や防御の工夫が取り入れられ、後の城づくりにも影響を与えたと考えられています。
江戸幕府は1613年に奈良奉行を置きました。奈良の町は寺社の町、商いの町として発展していきます。
江戸幕府は奈良を重要な寺社都市として管理し、奈良奉行が町の行政や治安などを担当しました。奈良町では寺社への参詣や商業が続き、古代以来の歴史を持つ町が江戸時代の社会の中でも受け継がれていきました。
明治政府のもとで1868年に奈良県が設置されました。その後いったん他県へ統合され、のちに再設置されます。
明治維新後、日本各地で新しい地方行政制度が整えられ、奈良県も1868年に設置されました。その後、奈良地域はいったん他の府県に統合されます。現在の県境や行政制度ができるまでには、明治時代の大きな制度改革がありました。
長い再設置運動を経て、1887年に奈良県の再設置が決まりました。現在の奈良県につながる大切な転換点です。
奈良地域は一時期ほかの府県に含まれていましたが、県の再設置を求める動きが続き、1887年に奈良県が再び設置されました。ここから現在につながる奈良県の行政の枠組みが整っていきます。
法隆寺を中心とする建造物群は1993年、ユネスコ世界遺産に登録されました。斑鳩の歴史が世界的な価値として認められました。
1993年、「法隆寺地域の仏教建造物」は日本で最初期に登録された世界文化遺産の一つとなりました。世界遺産には法隆寺と法起寺の建造物群が含まれ、古い木造建築と仏教文化の歴史的価値が国際的に評価されています。斑鳩の文化が「地域の歴史」から「世界の遺産」へと位置づけられた大きな節目です。
1998年、東大寺・興福寺・春日大社・平城宮跡など8つの資産からなる「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録されました。
「古都奈良の文化財」は、東大寺・興福寺・春日大社・春日山原始林・元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡の8資産で構成されています。寺院や神社だけでなく、宮跡や森林まで含めて、奈良時代から続く都市・宗教・自然の関係が評価されています。
吉野・大峯などを含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されました。山・信仰・道が一体となった文化が、世界的な価値として認められました。
この世界遺産は、吉野・大峯、熊野三山、高野山という3つの霊場と、それらを結ぶ参詣道から構成されています。奈良県では吉野・大峯や大峯奥駈道などが含まれます。神道・仏教・修験道が山の自然と結びつき、千年以上続く信仰の文化が評価されています。
710年の平城京への遷都から1300年。2010年には平城遷都1300年祭が開催され、平城宮跡を中心に奈良県各地で歴史や文化を見直す催しが行われました。
2010年は、710年に平城京へ都が移されてから1300年にあたる年でした。平城宮跡を中心にさまざまな催しが行われ、奈良時代の歴史や文化を現代に伝える大きな機会となりました。古代の都の歴史を、現代の奈良が改めて見つめ直した出来事です。
「飛鳥・藤原の宮都」が2026年に世界文化遺産へ登録されました。藤原宮跡やキトラ古墳、高松塚古墳など19の構成資産からなり、日本の古代国家が形づくられていく過程を今に伝えています。
2026年、「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録されました。飛鳥と藤原の2つの古代都に関係する19の構成資産からなり、宮殿・役所・寺院・古墳などを通して、日本で中央集権的な国家の仕組みが形づくられていく過程を伝えています。飛鳥・藤原の歴史が、平城京や平安京へ続く日本の都づくりに大きな影響を与えたことも評価されています。
FROM HISTORY TO PLACES
Nara Plusでは、奈良県の長い歴史をできるだけわかりやすい言葉で紹介しています。歴史上の出来事を現在の市町村や各地域Plusへつなぎ、「昔の奈良」と「今の奈良」を一緒に楽しめる年表を目指しています。
歴史情報は奈良県・各自治体・公的機関・世界遺産の公開情報などをもとに整理しています。年代や内容には諸説がある場合があります。