NARA HISTORY TIMELINE

奈良の歴史を
たどってみよう

奈良には、教科書に出てくる歴史が今も町や風景の中に残っています。歴史・今の場所・地域Plusをひとつにつなぎ、奈良の歩みをわかりやすく紹介します。古墳や町並みから、鉄道・ものづくり・現代の交流拠点まで、各地域の歩みを時代順につないで読めます。

奈良の歴史を、やさしく・楽しく
① 大きな流れが見える奈良県全体の大きな歴史の流れを中心に、地域ごとの詳しい話は各Plusへつなぎます。
② 「なぜ大事?」を一言で年号の暗記ではなく、その出来事が何につながったのかを紹介します。
③ 現地へつながる今の市町村と地域Plusを表示。歴史を「今ある場所」として感じられます。
読み方を選べます まず全体を知りたいときは「やさしく読む」、背景まで知りたいときは「くわしく読む」

TIME TRAVEL THROUGH NARA

奈良をめぐる歴史年表

「これ知ってる!」「ここ行けるんだ!」を見つけながら、奈良の長い歴史を楽しんでみてください。

01

先史・古墳時代

後期旧石器時代
先史香芝市

二上山の石が石器づくりを支える

二上山の北麓から西麓では、サヌカイトという石を使った石器づくりの遺跡が残っています。香芝の歴史は、寺院や古墳よりもずっと古い時代へさかのぼります。

ポイント:具体的な一年ではなく、長い期間にわたる石器文化を示す項目です。
出典:香芝市「二上山博物館の展示」 ↗/確認日:2026年10月8日
縄文時代早期
先史山添村

名張川のほとりで大川遺跡の人びとが暮らす

山添村の大川遺跡には、縄文時代早期の住居や火を使った跡が残っています。川沿いの土地で営まれた、古い時代の暮らしを伝えます。

ポイント:年号の分かる事件ではなく、発掘資料からたどる人びとの暮らしです。
弥生時代
弥生時代の環濠集落を上空から見たイメージ。周囲に濠がめぐり、竪穴建物や高床倉庫、田んぼ、人びとの暮らしが描かれている
環濠集落のイメージ図。ムラの周囲を濠で囲み、住居や高床倉庫、田んぼなどが広がる暮らしを表現しています。
弥生時代田原本町

唐古・鍵に大きなムラが栄える

奈良盆地のほぼ中央にある大規模な環濠集落かんごうしゅうらく、唐古・鍵遺跡からこ・かぎいせき。稲作が広まり、人びとが集まって暮らす社会の様子を伝えています。

ポイント:「環濠集落」は、ムラのまわりに大きな溝をめぐらせた集落のこと。
3世紀
古墳時代桜井市

纒向に大きな集落が広がる

現在の桜井市北部にある纒向遺跡では、大型建物や各地から運ばれた品が見つかっています。古代ヤマトの社会と地域を越えた交流を考える重要な場所です。

ポイント:発掘で分かることと、邪馬台国などをめぐる学説は分けて考えます。
3世紀後半〜4世紀ごろ
古墳時代天理市

柳本に黒塚古墳が築かれる

天理市柳本に、前方後円墳の黒塚古墳が築かれました。古墳時代の始まりごろ、大和に大きな墓が造られていく様子を伝えています。

ポイント:古墳を造った年代と、現代の発掘で分かったことを分けて見てみましょう。
出典:奈良県「歩く・なら/黒塚古墳」 ↗/確認日:2026年10月20日
3世紀後半ごろ
古墳時代上牧町

上牧久渡の丘に墳丘墓が築かれる

上牧久渡古墳群の3号墳は、3世紀後半の墳丘墓とされています。鏡や鉄製武器が見つかり、葛城北部の古代を知る手がかりになっています。

ポイント:一つの丘陵に、古墳出現期から飛鳥時代までの長い時間が重なっています。
出典:上牧町「上牧町の名所」 ↗/確認日:2026年10月8日
4世紀末ごろ
古墳時代広陵町

馬見丘陵に巣山古墳が築かれる

現在の広陵町に、全長約220メートルの巣山古墳が築かれました。馬見古墳群を代表する大きな前方後円墳で、地域の有力な勢力の存在を伝えています。

ポイント:河合町の大塚山古墳とあわせて、馬見丘陵に広がる古墳文化をたどれます。
4世紀末〜5世紀初めごろ
古墳時代川西町

島の山古墳が築かれる

現在の川西町唐院に、大きな前方後円墳が築かれました。島の山古墳は、古墳時代の前期から中期へ移るころの奈良盆地を知る手がかりです。

ポイント:古墳の年代は推定です。王や豪族の名前を決めつけず、出土品から時代をたどります。
5世紀後半
古墳時代河合町

大塚山古墳がつくられる

河合町の大塚山古墳おおつかやまこふんは全長約197m。5世紀後半につくられ、同じ時期の奈良盆地では最大級の前方後円墳ぜんぽうこうえんふんです。

ポイント:古墳の大きさから、その地域に大きな力を持つ人びとがいたことを想像できます。
6世紀後半
古墳時代斑鳩町

藤ノ木古墳がつくられる

斑鳩町には、豪華な副葬品で知られる藤ノ木古墳ふじのきこふんがあります。古墳時代の終わりごろの奈良を知る重要な場所です。

02

飛鳥時代

605年
飛鳥時代斑鳩町

聖徳太子が斑鳩に住む

605年、聖徳太子しょうとくたいしが斑鳩に住んだと伝えられます。斑鳩は政治と仏教文化の重要な舞台になりました。

607年
法隆寺境内の伽藍と五重塔。左に金堂、右に五重塔が見える
法隆寺の伽藍と五重塔。斑鳩の仏教文化を今に伝える景観です。
飛鳥時代斑鳩町

法隆寺が創建される

斑鳩町の歴史年表では607年を法隆寺創建としています。斑鳩の仏教文化を象徴する場所として、今も世界中から人が訪れます。

ポイント:「聖徳太子」「遣隋使」「仏教文化」を一緒に見ると、飛鳥時代の動きが分かりやすくなります。
613年
飛鳥時代葛城市

難波と飛鳥を結ぶ大道が記される

『日本書紀』には、613年に難波から飛鳥へ至る大道を整えたとあります。葛城市を通る竹内街道は、その道筋と重なる古い街道です。

ポイント:山を越える道から、飛鳥の都と外の世界とのつながりが見えてきます。
出典:奈良県「竹内街道」 ↗/確認日:2026年10月20日
643年
飛鳥時代明日香村

皇極天皇が飛鳥板蓋宮へ移る

皇極天皇は643年、新しく造られた飛鳥板蓋宮へ移りました。飛鳥宮跡は、古代の政治の舞台を伝えています。

出典:公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
7世紀中ごろ〜後半
飛鳥時代平群町

精巧な石室をもつ西宮古墳が築かれる

平群町に、切りそろえた大きな石を組んだ西宮古墳が築かれました。古墳づくりが続いた飛鳥時代の技術を伝えます。

ポイント:築造年代は出土品などからの推定で、特定の一年を示すものではありません。
出典:平群町「県指定 西宮古墳」 ↗/確認日:2026年10月20日
675年
飛鳥時代河合町

廣瀬の水の神を祀る記録が残る

『日本書紀』には、天武天皇の時代、廣瀬の河曲に大忌神を祀らせたと記されています。今の河合町に残る廣瀬大社の信仰につながる記録です。

ポイント:675年は祭祀の記録がある年で、神社の創建年とは区別します。
出典:河合町「文化財等」 ↗/確認日:2026年10月8日
675年
飛鳥時代三郷町

龍田の風の神を祀る記録が残る

『日本書紀』には、675年に龍田の立野で風の神を祀ったとあります。三郷町の龍田大社へと続く信仰を、記録からたどれます。

ポイント:675年は記録の年です。神社の創建年と同じだと断定するものではありません。
出典:奈良県「龍田大社」 ↗/確認日:2026年10月20日
686年(草創伝承)
飛鳥時代桜井市

長谷寺の始まりが伝えられる

長谷寺は、686年に道明上人が銅板法華説相図を安置したことが始まりと伝えられています。初瀬の山あいで育まれた寺院文化をたどる入口です。

ポイント:草創の伝承と、現在の建造物が建てられた年代は分けて読みます。
出典:奈良県「長谷寺:見どころ7〜9」 ↗/確認日:2026年10月8日
694年
飛鳥時代橿原市

藤原京に都が移る

持統天皇じとうてんのうの時代、都は藤原京ふじわらきょうへ。日本初の本格的な都城とされ、のちの平城京・平安京へつながります。

ポイント:藤原京の歴史は、2026年の世界遺産登録へもつながっています。
706年
飛鳥時代斑鳩町

法起寺の三重塔が完成する

法起寺に、今も残る三重塔が完成したとされています。法隆寺とともに、斑鳩に広がった古代の寺院建築を伝えています。

ポイント:607年の法隆寺創建から、周辺の寺院文化へ視野を広げる項目です。
03

奈良時代

710年
奈良時代奈良市

平城京に都が移る

710年、都は藤原京から平城京へいじょうきょうへ。奈良が日本の政治・文化の中心となる時代が始まりました。

ポイント:「710(なんと)大きな平城京」という語呂合わせを聞いたことがある人も多いはず。
752年
奈良時代奈良市

東大寺の大仏 開眼供養

752年、東大寺で大仏開眼供養かいげんくようが行われました。大仏は奈良時代の国家事業と文化を象徴する存在です。

ポイント:「開眼」は仏像の完成を祝い、目を入れる大切な儀式です。
768年
奈良時代奈良市

春日社の創建

768年を春日神社創建とする歴史資料があります。春日山とともに、奈良を代表する信仰の地になりました。

奈良時代・8世紀ごろ
奈良時代大淀町

比曽寺に東西の塔をもつ伽藍が整う

大淀町の比曽寺では、奈良時代には東西に塔を置いた寺院の建物配置が整っていたと考えられています。今の世尊寺境内に、その塔の礎石が残ります。

ポイント:伝承上の始まりと、遺跡から考えられる寺の姿を分けて紹介しています。
出典:大淀町「比曽寺跡」 ↗/確認日:2026年10月20日
04

平安時代〜中世

1136年
平安時代奈良市

春日若宮おん祭が始まる

春日若宮おん祭かすがわかみやおんまつりは1136年に始まったと伝えられます。都が奈良を離れたあとも、奈良独自の文化と信仰は受け継がれました。

ポイント:昔の出来事が、現在の祭りとして目の前で見られるのも奈良のおもしろさです。
1180年
平安時代末期奈良市

南都焼討ちで大きな被害

1180年、平重衡たいらのしげひらによる南都焼討ちなんとやきうちで東大寺・興福寺などが大きな被害を受けました。奈良の歴史には繁栄だけでなく、復興の歩みもあります。

1336年
南北朝時代五條市

後醍醐天皇が賀名生に立ち寄る

1336年の年末、後醍醐天皇は吉野へ向かう途中、賀名生の堀家に迎えられたと伝わります。西吉野には、南朝にゆかりのある歴史が残ります。

ポイント:賀名生の読みは「あのう」。都をめぐる歴史が、西吉野の山里にもつながっています。
出典:五條市の公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
1336年
南北朝時代吉野町

後醍醐天皇が吉野へ入り、南朝の拠点となる

1336年、後醍醐天皇が吉野に入りました。吉野山は、京都の北朝と向き合う南朝の政治や信仰の拠点となっていきます。

ポイント:同じ1336年の五條の出来事と、吉野山の歴史がつながります。
出典:奈良県「後醍醐天皇と吉野」 ↗/確認日:2026年10月20日
1369年
南北朝時代黒滝村

鳳閣寺に理源大師の廟塔が造られる

黒滝村の鳳閣寺に、理源大師をまつる石の廟塔が造られました。台座には1369年の年号が刻まれ、造られた時期を今に伝えています。

ポイント:石に刻まれた年号が、建立年代を知る手がかりになっています。
出典:黒滝村「理源大師廟塔」 ↗/確認日:2026年10月20日
05

戦国時代〜江戸時代

1532〜1555年ごろ
戦国時代橿原市

今井の寺内町が整う

現在の橿原市今井町では、天文年間に寺内町が整ったとされています。寺院を中心に生まれた町は、その後、商業の町へと発展していきました。

ポイント:古代の藤原京と近世の今井町をつなぎ、橿原の歴史の幅を広げます。
出典:橿原市「今井町の歴史」 ↗/確認日:2026年10月8日
1560年
戦国時代奈良市

松永久秀が多聞城を築く

1560年、松永久秀まつながひさひでが多聞城たもんじょうを築いたとされています。古都・奈良にも戦国時代の動きが及んでいました。

1580年
戦国時代大和郡山市

筒井順慶が郡山城を築く

1580年、筒井順慶による郡山城の築城が始まります。その後、豊臣秀長らによって城が整えられ、郡山は城下町として歩んでいきました。

ポイント:1580年は築城の始まり。現在につながる城の姿は、後の整備も重なってできました。
出典:大和郡山市「郡山城跡」 ↗/確認日:2026年10月11日
1600年
近世大和高田市

専立寺が創建され、寺内町の歩みへ

大和高田では、1600年に専立寺が創建されました。「高田御坊」とも呼ばれ、門前の寺内町は商いの町へと発展していきます。

ポイント:寺院の歴史が、現在の商いの町につながっています。
江戸時代初期
江戸時代御所市

御所まちの町場が発展する

江戸時代初期、現在の御所市に陣屋町が形成されました。葛城川をはさむ西御所と東御所には、商業の町と寺内町の歴史が重なっています。

ポイント:今井町や高田の寺内町と比べると、奈良の町場の成り立ちの違いが見えてきます。
出典:御所市「めぐる御所」 ↗/確認日:2026年10月11日
1608年
江戸時代五條市

松倉重政が新町の振興を進める

1608年に二見城へ入ったとされる松倉重政は、新町村を取り立て、商人が集まる町づくりを進めました。紀州街道沿いの町並みの発展につながります。

ポイント:城だけでなく、街道と商いに目を向けると新町の成り立ちが見えてきます。
出典:五條市の公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
1613年
江戸時代奈良市

奈良奉行が置かれる

江戸幕府は1613年に奈良奉行ならぶぎょうを置きました。奈良の町は寺社の町、商いの町として発展していきます。

江戸時代初めごろ
江戸時代下市町

市場町の取引を支える下市札が使われる

商いが盛んだった下市では、紙に金額を書いた下市札が使われました。物やお金のやり取りを支えた、市場町ならではの工夫です。

ポイント:起源に関する記述には幅があるため、「日本最初」や特定の一年と断定していません。
出典:下市町「下市札(物産手形)」 ↗/確認日:2026年10月20日
江戸時代
江戸時代御杖村

伊勢参りの旅人で御杖の宿場がにぎわう

御杖を通る伊勢本街道には、伊勢神宮を目指す旅人が行き交いました。江戸時代の村は、旅人を迎える宿場としても栄えました。

ポイント:街道は信仰の道であるとともに、集落の暮らしを支える道でもありました。
出典:御杖村要覧2018「歴史」 ↗/確認日:2026年10月20日
1648年
江戸時代田原本町

平野氏の陣屋が完成する

平野長勝が築いた陣屋が1648年に完成しました。現在の田原本町役場周辺にあった行政の拠点で、近世の田原本の町の歩みにつながります。

ポイント:1635年は着工、1648年は完成。二つの年を混同しません。
出典:田原本町「その他-平野氏陣屋跡」 ↗/確認日:2026年10月8日
1863年
幕末五條市

天誅組が五條で挙兵する

1863年、天誅組は五條代官所を襲い、櫻井寺を本陣として五條新政府を名乗りました。幕末の大きな変化を伝える出来事です。

ポイント:五條は、明治維新へ向かう動きの舞台の一つでした。
出典:五條市の公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
06

明治〜現代

1868年
明治時代奈良県

奈良県が設置される

明治政府のもとで1868年に奈良県が設置されました。その後いったん他県へ統合され、のちに再設置されます。

1887年
明治時代奈良県

奈良県が再び設置される

長い再設置運動を経て、1887年に奈良県の再設置が決まりました。現在の奈良県につながる大切な転換点です。

ポイント:今では当たり前に見える「奈良県」も、一度なくなった時期がありました。
1890年
明治時代王寺町

県内初の鉄道が開通し、王寺駅が開業する

1890年12月27日、王寺と奈良を結ぶ県内初の鉄道が開通し、王寺駅が開業しました。田園が広がっていた久度は、駅前の町へと変わっていきます。

ポイント:駅の開業は1890年、大阪と奈良をつなぐ全線開通は1892年です。
1918年
大正時代生駒市

日本初のケーブルカーが生駒で開業する

1918年8月29日、鳥居前と宝山寺の間に生駒ケーブルが開業しました。山の寺へ向かう参拝の道に、新しい交通手段が加わります。

ポイント:開業した区間を確かめると、今の路線ができるまでの歩みが分かります。
出典:近畿日本鉄道「生駒ケーブルの歴史」 ↗/確認日:2026年10月20日
1921年
大正時代三宅町

三宅で野球グローブづくりが始まる

三宅町では、1921年ごろに野球グローブの生産が始まったとされています。皮革を扱う技術は、やがて町を代表するものづくりへと育っていきました。

ポイント:地域の歴史には、寺社や古墳だけでなく、暮らしを支えた産業も含まれます。
出典:三宅町「野球グローブ・ミット」 ↗/確認日:2026年10月11日
1939年
昭和時代五條市

五新鉄道の建設が始まる

1939年、五條と新宮を結ぶ五新鉄道の工事が始まりました。橋脚やトンネルが造られましたが、鉄道として開業することはありませんでした。

ポイント:路盤の完成と、鉄道の開業は別。五新線跡は全線を自由に歩ける道ではありません。
出典:五條市の公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
1954年
昭和時代十津川村

暮らしを結ぶ谷瀬の吊り橋が完成する

1954年、十津川村に谷瀬の吊り橋が完成しました。谷を隔てた集落を結ぶ橋は、地域の暮らしを支える道として造られました。

ポイント:名所の始まりにあった、集落の暮らしと交通に目を向ける項目です。
出典:土木学会「谷瀬の吊り橋」 ↗/確認日:2026年10月20日
1955年
昭和時代安堵町ゆかり

安堵出身の富本憲吉が人間国宝に認定される

現在の安堵町で生まれた陶芸家・富本憲吉が、1955年に色絵磁器の重要無形文化財保持者に認定されました。いわゆる「人間国宝」として、近代陶芸の歩みを伝える人物です。

ポイント:安堵の地域文化と、日本の近代陶芸の歩みをつなぐ出来事です。
出典:奈良県立美術館「富本憲吉と昭和」 ↗/確認日:2026年10月11日
1972年
現代明日香村

高松塚古墳で極彩色壁画を発見

1972年3月、高松塚古墳で鮮やかな壁画が見つかりました。「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像などが、日本中の注目を集めました。

出典:公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
1985年
昭和時代天川村

洞川湧水群が名水百選に選ばれる

1985年、天川村の洞川湧水群が名水百選に選ばれました。山から湧く水を大切にしてきた地域の文化へ、全国から目が向けられます。

ポイント:自然そのものと、水を守り使ってきた人びとの歴史を合わせて見てみましょう。
1993年
法隆寺の五重塔を正面から見上げた景観
法隆寺の五重塔。1993年、「法隆寺地域の仏教建造物」として世界文化遺産に登録されました。
現代斑鳩町

法隆寺地域の仏教建造物が世界遺産へ

法隆寺を中心とする建造物群は1993年、ユネスコ世界遺産に登録されました。斑鳩の歴史が世界的な価値として認められました。

1993年
平成時代安堵町

安堵町歴史民俗資料館が開館する

1993年10月、安堵町歴史民俗資料館が開館しました。昔の暮らしや地域の伝統を、資料や建物を通して次の世代へ伝える拠点です。

ポイント:歴史を残し、学べる場所をつくることも、地域の新しい歴史です。
1998年
雨上がりの東大寺大仏殿を正面から見た景観
東大寺大仏殿。1998年に世界遺産登録された「古都奈良の文化財」を構成する資産の一つです。
現代奈良市

「古都奈良の文化財」が世界遺産へ

1998年、東大寺・興福寺・春日大社・平城宮跡など8つの資産からなる「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録されました。

2004年
現代吉野・大峯など

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産へ

吉野・大峯おおみねなどを含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されました。山・信仰・道が一体となった文化が、世界的な価値として認められました。

ポイント:奈良は建物だけでなく、山や道、信仰の文化も大切な歴史です。
2006年
平成時代宇陀市

宇陀松山の町並みが重伝建地区に選ばれる

2006年7月5日、宇陀市松山が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。商いと暮らしが育てた町並みを、次の世代へ受け継ぐ節目です。

ポイント:2006年は町ができた年ではなく、歴史ある町並みの価値を認めて保存につなげた年です。
出典:文化庁「宇陀市松山」 ↗/確認日:2026年10月20日
2010年
現代奈良県全域

平城遷都1300年祭

710年の平城京への遷都から1300年。2010年には平城遷都1300年祭が開催され、平城宮跡を中心に奈良県各地で歴史や文化を見直す催しが行われました。

ポイント:710年の出来事が、2010年の奈良にもつながっています。
2010年
現代五條市

五條新町が重伝建地区に選定される

2010年12月24日、五條新町が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。住民の暮らしとともに、歴史ある町並みを受け継ぐ取り組みが続きます。

ポイント:古い町並みを守ることも、次の時代へつながる新しい歴史です。
出典:五條市の公式解説 ↗/確認日:2026年10月14日
2018年
平成時代曽爾村

漆文化をつなぐ「ねんりん舎」が開く

2018年5月25日、曽爾村に漆復興の拠点「ねんりん舎」が開きました。古い民家を生かし、地域の漆文化を未来へつなぐ場が生まれます。

ポイント:古くからの文化を守り直す取り組みも、現代の年表に加えています。
2021年
令和時代三宅町

交流まちづくりセンターMiiMoが開く

2021年、三宅町に交流まちづくりセンターMiiMoが開きました。図書や子育て、交流の機能を集め、町の人びとが関わる新しい拠点となります。

ポイント:昔から受け継いだ文化と、新しく生まれた交流の場を一緒にたどれます。
2026年
現代橿原市・明日香村など

「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産へ

「飛鳥・藤原の宮都」が2026年に世界文化遺産へ登録されました。藤原宮跡やキトラ古墳、高松塚古墳など19の構成資産からなり、日本の古代国家が形づくられていく過程を今に伝えています。

ポイント:694年の藤原京の歴史が、1300年以上たった2026年に世界遺産として評価されました。

FROM HISTORY TO PLACES

歴史を知ったら、今の奈良へ

歴史 → 地域Plus年表の出来事から現在の町へ。地域Plusで観光・暮らし・地域の情報につなぎます。
地域が増えるほど育つ公開中の34地域Plusへつながります。地域の記事と合わせて、県全体の歴史をたどれます。
奈良ものしりクイズへ歴史を読んだあとに、奈良ものしりクイズでも奈良を楽しめます。

この年表について

Nara Plusでは、奈良県の長い歴史をできるだけわかりやすい言葉で紹介しています。歴史上の出来事を現在の市町村や各地域Plusへつなぎ、「昔の奈良」と「今の奈良」を一緒に楽しめる年表を目指しています。

歴史情報は奈良県・各自治体・公的機関・世界遺産の公開情報などをもとに整理しています。年代や内容には諸説がある場合があります。時代に幅のある出来事は期間で示し、伝承・遺跡からの推定・記録のある年代を区別しています。